萬葉学会

〇第六十九回萬葉学会全国大会(報告)

〇第六十九回萬葉学会全国大会

 本年度の全国大会は、奈良大学において行われた。実行責任者は、編輯長たる上野が、これを務め、三日間無事に大会日程をこなすことができた。これは、何よりも関係各位のご助力の賜物であり、まずは厚く御礼を申し述べたい。

 十月八日(土)は、午後二時より、学会代表挨拶及び会場校挨拶が行われた。

学会代表・奈良女子大学名誉教授・高岡市万葉歴史館館長   坂本信幸氏

奈良大学文学部長                                                               関根俊一氏

 坂本代表は、長期的視野に立った基礎研究と人材育成こそが、学問の礎であるにもかかわらず、応用研究重視、短期的成果の追究のみが求められている現在の大学の学問研究のあり方に対して、苦言を呈して、警鐘の語を発せられた。その上で、創立五十年の奈良大学が、これまで日本の古代研究の発展に尽くした事例を列挙して下さり、会場校に対する励ましの言葉となった。奈良大学に奉職する者のひとりとして、代表のお言葉を励みにし、精進してゆきたい、と思う。学生たちにも励みになったと思う。

 次に、文学部長の関根俊一から、大学を代表して、学会の開催を歓迎する旨のメッセージがおくられた。なお、関根が挨拶をする手筈となっていたが、急な公務のため、上野がメッセージを代読した。

 続いて、公開講演会が行われ、最新最高の学術成果が、わかりやすい言葉で語られた。

結節点としての「亡妾悲傷歌」     東京大学大学院教授 鉄野昌弘氏

木簡と文書の世紀                 奈良大学教授 寺崎保広氏

 鉄野先生のご講演は、大伴家持の歌日誌の始発を「亡妾悲傷歌」に求め、その長い期間の連作が、結果的に、後年の歌日誌の先蹤をなすものとなった、と説かれたものであった。

 寺崎先生のご講演は、木簡の出土例を通時的に広く見渡した場合、長岡京以降、その出土例が極端に少なくなるのはなぜなのかという問いを立てられ、それについての考察をなされた刺激的な内容であった。この講演の結論は、八世紀の律令国家の始発期においては、文書行政の徹底が図られ、そのなかで木簡を利用することが多かったためであると説かれた。

 このあと、本年度の萬葉学会奨励賞の授賞式が行われた。本年度、語学分野の受賞者がなかったのは残念であったが、文学部門では小田芳寿氏(仏教大学非常勤講師)が選ばれた。奨励賞選考担当の乾善彦編輯委員より、選考経緯の報告があり、続いて坂本代表より、賞状と副賞の授与が行われた。なお、ここまでの進行役は、山崎健司編輯委員が務められた。

 続く懇親会は、奈良大学構内の、「ならやま」で行なわれた。村田右富実、西一夫両編輯委員の司会のもと、なごやかな会となった。

 翌、十月九日(日)は、七名の研究者の発表が行われた。

午前の部(午前十時より)

万葉集の「に」と「そほ」                     大阪府立大学大学院生 仲谷健太郎氏

山部赤人「勝鹿真間娘子墓を過きる時に作る歌」考―伝説歌の成立―

                                   日本女子大学大学院学生 安井絢子氏

万葉集巻四・五〇九・五一〇番歌考―旅中詠における「家」と「妹」をめぐって―

                             旭川工業高等専門学校非常勤講師 関谷由一氏

午後の部(午後一時十五分より)

「ぬなはくりはふ」について                       東京大学大学院生 山崎健太氏

上代書き言葉における漢文助辞「於」と「于」の用法と機能―『古事記』を中心に―

                                         関西大学大学院生 陳 韻氏

上代一音節名詞コ                           相愛大学非常勤講師 蜂矢真弓氏

副詞句の構成から見た上代のガニ                 関西大学非常勤講師 吉井 健氏

 活発な質疑応答がなされたのが印象的であった

 翌、十月十日(月)は、臨地研修。晴天のもと、奈良商工会議所集合―喜光寺―薬師寺―たまゆら(昼食)―唐古鍵遺跡―唐古・鍵 考古学ミュージアム―奈良県立橿原考古学研究所附属博物館―宮山古墳(室大墓)―一言主神社―大和八木駅(第一次解散)―近鉄奈良駅(第二次解散)とバスを進め、研修の実を上げることができた。ご案内は、垣見修司編輯委員と、同志社大学元教授の辰巳和弘先生であった。

 

 

2016.12.15 update